Leprechaun〜日々にたわむれ〜 ひかりごけ
カニバリズムの純文学、といえば「ひかりごけ」だろう。非常に短い戯曲なので、簡単に内容を紹介すれば、
太平洋戦争後期、北海道の海を航海していた船が難破。幸い洞窟に難を逃れた一行だったが、自分たちが決して救われた訳ではないことを知って愕然とする。
洞窟には食糧がなかったのである。
外は酷寒の吹雪で、食物を得ることができない。吹雪をついて人里に出ようにも、食糧も装備もない。一同はその洞窟で一冬過ごすことを余儀なくされた。
次々に死んでいく仲間たち。残された乗組員らは死か、人肉食かという究極の選択を迫られることになる。
結局、船長以外は死に絶え、翌春、救助された船長は死体損壊の罪で訴えられるが、彼は「今まで人肉を食わなかったものだけが、自分を裁� �権利がある」と主張。しかし裁判所にいた人々は、みな罪人ばかりであった。。。
元となったエピソードは実話である。乗組員は軍属で、船の修理のために小樽へ向かう途中であった。船は知床岬で難破。そこの漁師小屋で越冬した一行は、船長を残して死亡し、翌春船長だけが自力で知床半島を南下。羅臼町で救われ、奇跡の生還を果たした「神兵」として絶賛された。
しかしその後人肉食を行ったことが明るみに出、裁判の結果、死体損壊罪で懲役一年の刑を受けた。
どのように私は音声学私の名前を書くのですか武田泰淳はこの事件から「ひかりごけ」を著したわけだが、タイトルのヒカリゴケは北海道の苔類で、洞窟によく自生している。発光するわけでなく、光を反射するだけなのだが、武田はこれを夜光茸のようにとらえ、人肉食という罪を犯した人の首の後ろに光を浮かび上がらせる、とした。
さらに武田は船長が乗組員を殺害したかのような描写をしているが、実際の裁判では殺人罪については無罪となっているなど、色々と脚色がみられる。
最大の違いは、裁判の経過である。事実では船長は従容として罪を告白し、罪に服したが、小説ではふてぶてしいほどに達観し、裁判長から検察までを見下ろすキリストのような存在として描かれてい� �。
船長のロジックは以下の通りである。「なるほど、自分は人肉食を行ったが、それはやむにやまれぬ理由からであった。翻って貴方がたはそのような理由もないにも関わらず、平然として人肉食に値するような犯罪を犯し、しかもその罪に全く気づかないで聖人君子面をしている」
作者は「人肉食に値する犯罪」とは何か、明らかにしてないが、作品が描かれた1954年という年代を考えると、それは戦争での殺人や虐殺であったり、戦後の混乱期における様々な凶悪犯罪だったりと思われるが、「ひかりごけ」が名作とされる所以は、明確に犯罪を定義しないことで、却って犯罪の倫理的意味を読者一人ひとりに考えさせることにあったのだろう。
ただ完全な名作とするには、今ひとつ「罪」への踏み込みが浅い。ドフトエフスキーほど深く罪に切り込め、とは言わないが、「ひかりごけ」は「準名作」といった位置づけが妥当なところだろう。
さて、当時の刑法には人肉食という罪が設定されていない。そのような状況を全く想定していなかったというより、明治政府が手本にしたプロイセン法体系のな� ��に、人肉食が記載されていなかったというのが事情だろう。
むろんその当たりの事情は現行刑法でも同じで、人肉食が重度のタブーなことには変わりがない。
作中では人肉食は殺人よりも重い罪とされているが、現在では逆のような気がする。殺人はダメでも、(極限状態における)人肉食は許容するという人が、今では多いのではないか。この辺りの感覚の違いは、当時の人々が戦争で殺戮に慣れてしまっていたことに原因があるのかもしれない。
sleepoversで何をするかもっとも作者はカニバリズムをそのものを禁忌とするより、「仲間の肉を食う」ことに倫理的嫌悪感を設定した、と考えたほうが近いだろう。最期まで若者が拘ったのは、仲間の肉を食い、食らわれる点であり、もし仲間でない死体が転がっていれば、その肉を食するのにさほど抵抗はなかっと思われる。
仲間の肉を食う、という比喩でもって、作者が糾弾したかったことは何か。それはこの世の根源悪である。およそ他の言葉では表現し切れない、人が人である限り持っているような原罪。世界にその身を割り込ませるだけで、社会に害悪を垂れ流すような歪んだ存在。
それを我々は等しく持っており、人を裁くのなら、まず己を裁かなくてはいけない。
このくだり� ��聖書の有名なシーンを思い出させる。罪人が縛られて石詰めの刑に処されている。そこに基督が通りかかり、「罪なきもののみ、この罪びとをうて」と言ったところ、誰もその罪人に石を投げることができなかった、というシーンである。裁く側が裁かれる側に変質するというドラマチックな舞台装置を、作者は拝借したわけである。
が、ここではむしろ、氏の「我慢」という思想に着目したい。
作者は何度も何度も、作中の船長に「我慢」をうながす。船長は飢餓に我慢し、仲間の肉を食らうという地獄絵図に我慢し、そして食わねば死に、食えば裁判にかけられるという不条理に我慢している。
船長はそれをさして「我慢というものはいつまですればいいという決まりはない」と言う。言いえて妙である。そう、我慢というものは制限はない。その人が終わりと思えば終わりであり、拡張していえば、人生そのものが我慢の連続である。そして我慢を切り上げた瞬間、その人は人生から退場しなければならない。
観客や読者はこの寸劇を鑑賞しているはずなのだが、このせりふによって、実はこの寸劇は人生の縮図であり、寸劇から人生を照射しているという構成をとっていることが分かる。
さらに船長は「他人の我慢は自分の我慢にならない。自分の我慢は自分でしなければならぬ」と断言するが、これも人生における真理だろう。この世において、我慢しているつもりで� �て、その実家族や、職場や、そのほかの人のために我慢していることの、なんと多いことだろうか。
しかしそのような我慢は、本質的にはその人の蓄積にならず、いざというときには無に帰する我慢である。人生において我慢とはその人の生涯の根源的部分であり、それを人にゆだねるものは、結局人生を真に生きてはいないのである。
こうして見ると、究極の我慢である遭難や人肉食というものは、(メタファ的に)実際には人生において必須なものとの解釈も成り立つ。我々はおぞましい体験を経ることで、本当に人間を生きることになるのであり、そのような理想を求めることは、とりもなおさず他人を損壊することである。それを知らずになおも人間らしく生きようとすることが、ひとの原罪なのだ。
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