2012年3月20日火曜日

古代地中海世界の暦


                                                                    暦について

  その住民がどの暦を使用して生活しているかは、その住民の世界観を知る上で重要であり、また同じ暦を
使用している社会は同じ世界に住んでいると考えても差し支えないと思われます。

 古代地中海世界では主に以下の暦が利用されていたようです。

オリンピアド暦  ギリシャ圏で利用された。西暦紀元前776年の第1回オリンピアド開催を紀元とする。
           後世ローマ時代でも引き続いて用いられたようである。(4年で1年となる。193年がアウグストゥスの42年に相当する)

ローマ建国紀元 西暦紀元前753年のロムルスによるローマ市建国を紀元とする。

 これに対して、キリスト教が拡大してゆく過程で、キリスト教の暦が広まるようになりました。このキリスト教の暦は教会指導者
エウセビオス(263頃-339年)によって概ね確定され、アウグスティヌス(354-430年)によって修正、補強されました。
この暦は、聖書の記述とギリシャ・ローマ、エジプト、アッシリアなどの歴史を元に作成され、エウセビオスは
西暦紀元前5201年を世界創世に置き、アウグスティヌスは紀元前5351年を世界創世に置く創世紀元です。
従って、最初から紀元前という考え方が存在しない暦でした。


あなたは、ラテン語で身体をどのように言うんだ

                                                                世界の歴史

 古代ギリシャ・ローマ人に限らず、歴史と神話は民族内では繋がっている傾向があります。最初に神々の時代があり、
半神半人の時代があり、人間の時代に至る。この傾向は世界共通であるようです。しかし、自民族内の神話に繋がる
歴史とは別に、他民族との接触によって、他民族の持つ神話と歴史を知ることで、自民族の歴史に他民族の
歴史とり入れ、あるいは統合するようになります。
 古代地中海世界で自民族の歴史を記述してきた民族は、エジプト人、バビロニア人、ギリシャ・ローマ人、ユダヤ人
などです。ギリシャ人・ローマ人、ユダヤ人が歴史を記述する以前にはるかに先行する長大な歴史を
持っていたのがエジプト人やバビロニア人です。ギリシャ・ローマ人やユダヤ人は エジプト・バビロニアの歴史を
どのように受容したのでしょうか。

 ギリシャ・ローマ時代に作成された他民族の歴史書として以下のものがあるとのことです。


ローマのグラディウスをシャープにする方法

         「バビロニア誌」 前3世紀 バビロンの神官ベロッソス作
       215万年前の世界創世から説き起こし、ノアの洪水伝説の下敷きとなった話などがある。明らかに
       聖書の洪水伝説と共通の素材に拠ったものと考えられる。

    「ペルシカ」 前5世紀 ギリシャ人医師クテシアス作
       アケメネス朝王朝自体が記載していた歴史書「バシリカイ・ディプテライ(王の書)」などに
       拠って記載されたとされる。

    「エジプト誌」 前3世紀 ヒエロポリス神殿の高官 マネト作 
       エジプト人だがギリシャ語で記載した。神々と半神半人時代が2万5千年程続き、その後王朝時代に
       入り、31の王朝が興亡したとする。現在のエジプト王朝区分はこの史書に拠っている。
       王朝時代は合計5268年続いたとする。


男性は、古代エジプトであり家族のためにやったのか

    「旧約聖書」 天地創造からノアの洪水までを1656年とし、概ねイエス誕生まで6000年とする。
            特に前166年に書かれた「ダニエル書」は世界を4つの帝国の興亡として描いている。
            すなわち、カルデア(新バビロニア)、メディア、ペルシャ、アレクサンドロス帝国である。
 
 ギリシャローマ人にもっとも影響を与えた他民族はペルシャ人であったと考えられます。原因はペルシャ戦争であり、
その大戦争を通じてペルシャ人の、ひいてはペルシャに先行する歴史に興味が波及していったと
思われるます。その結果、ギリシャ・ローマ人は以下のような世界史認識に到達したようです。

     最初の世界帝国はアッシリアであり、ニノス王により建国され、イラン、エジプトを征服した。
     ニノスの死後、妻のセ ミラミスがインドを征服しバビロンを建設した。このアッシリア帝国は
    ほぼ1300年間続いた。
           アッシリアを滅ぼしたのはメディアであり、298年間存続し、他の国はその属国だった。
     そのメディアを滅ぼしたのはペルシャであり、ペルシャを滅ぼしたのはギリシャ人であり、最終的に
    世界の一方はローマに、他方はパルティアに統合された。


 エウセビオスやアウグスティヌスの歴史は基本的には聖書の歴史とギリシャ・ローマ人の歴史を統合した
ものとのことです。聖書とギリシャ・ローマ人の世界史認識の相違点の一つはアッシリアについての認識だった
ようです。すなわち、ギリシャ・ローマ人にとってのアッシリアとは、事実としてのアッシリアの歴史とは大分
かけ離れたものとなっていますが、聖書に登場するアッシリアは、前8世紀のティグラト-ピレセル王の時代以降
比較的事実に即して語られているとのことです。 これに対してエウセビオス、アウグスティヌスは キリスト教を
ギリシャ・ローマ人に受容してもらうため、「世界帝国」としての聖書に登場する新バビロニア(カルデア)の
を、アッシリアに従属する国とし、ギリシャ・ローマ人にとっての「アッシリア」を世界史に組み入れたのです。            

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