哲学への招待
哲学への招待
聖書における死生観 1
・・・旧約聖書における解釈
旧約聖書は、生命の誕生、生の系譜、死の潜みについて多様な形でダイナミックに語っている。以下、ここでは、人間が生きること、
そして死ぬことについて、旧約聖書がいかなる解釈をしているのかについて検証していきたい。
旧約聖書の創成期1の12、21、25、31によれば、旧約聖書を解釈する人は、神が言葉とロゴスによって万物を生命に呼び出す
場面に遭遇し、神自身が自ら創造した生命世界の秩序を是認する宣言に立ち会った。このことは、旧約聖書のストーリーは、生命の
礼賛を通してその幕を開けていると解するべきであるということを意味している。
コーヘレス書9−4では、コーヘレスが「生ける者として選ばれている者には希望がある。生ける犬は死せる獅子に優る」と言ってい
る。また、創世記3−19、コーヘレス書3の19−20では、人は、「塵から取られ、ゆえに塵に帰る」と伝えられている。いかなる人間で
あっても同じように死を迎え、例外なくこの世を去ることになる。「何と、賢者も愚者と同様に死ぬのだ」(コーヘレス書16)にあるよう
に、「死」という定めの前では誰にとっても平等なのである(1)。
興味深いことの一つとして、同じ時代における他の文明における思想と比較すると、旧約聖書では人間の死後の生に関する見方に関
しては極めて消極的かつ控えめな態度を持っているということだ。
例えば、コーヘレス書6−12において「人間に、その一生の後どうなるのかを教えるものはどこにもない」と述べている如く、死が生か
ら完全に独立して別の世界を形成するということはなかった。また、死が擬人化される表現はあったが(2)、ヤハヴェに対抗する如き神
格となることはなかったのである。
アガペア戦争の時代においては、義人の不死の観念や復活思想(3)を窺うことができるが、この時代においても、それらは神を信じて
教義に従って清く生きるという信仰の擁護といった限られた観点を大前提として展開された思想であることに留意すべきである。
即ち、この時代の人々の信仰生活の実質的な空間は、今現在、現実に生きている瞬間を最大限に正しく生きるということに主眼を置い
ていたのである。現実の生を慈しみ、生きているという確かな事実を賛美する姿勢こそが旧約聖書における死生観と解することができ
る。
さて、ここからは、旧約聖書においては一体如何なる生命世界が描かれているのかについて検討する。承知の如く、古代においては、
神話の世界では神々の闘争によって生命の世界が誕生している。ところが、旧約においてはそうではなく、「ヤハヴェ神が土の塵で
形作った人の鼻に命の息を吹き入れた」(創世記2ー7)ことによって人間は生きる存在となった。これは言うまでもなく、旧約における
人間の誕生とその生命は、神から与えられた賜物として考えられているということだ。
人間の誕生とその生命が完全無欠の(絶対的な)存在としての神から賦与されているという裏付けは、申命記32−39における「私の
他に神はいない。私が殺し、私が生かす」という言明によって明白である。即ち、神によって与えられた生命は人間が持つ独立した
所有物となるわけではない。神によって与えられた生命は神によって奪われるものである。人間が「生かされている」という現実、つま
り、人間の生命は神からの賜物であるという解釈は、まさにここから読み取ることができるのだ(4)。
旧約においては、人間の「生」と「死」の双方が神の手によって委ねられているという考え方は、人々が自らの人生について絶望感に
耐え切れなくなった時、自殺することを絶対的に禁止するものである。ヨナ書4−3やヨブ記6−9などにおいては、極度の絶望感から
死を選び、それを切望する人間は、命を自ら断つということはぜず、神に対して自分の命を取り上げてくれるように嘆願している(5)。
ここで明白なことは、旧約の人々における「生」と「死」に対する態度は極めて受動的であり、「生」とは与えられた生命の下で生きるこ
とであり、「死」とは与えられた生命を与えた神が取り上げることなのである(サムエル書上2−6、ヨブ記1−21)。
神は人間に生命を与えたわけであるが、それは言葉・ロゴスを介して与えたのであった。即ち、神は人々を祝福し、「産めよ、増えよ、
地に満ちよ。また地を従わせよ。海の魚、天の鳥、地を動くすべての生き物を支配せよ」と語ったのだ(創成記1−28)。旧約における
神の存在は不動不変のイディア的存在ではなく、神から人間に対して語りかける「人間を探し求める神」(God in search of man)から響
いてくるものである(6)。
「私は、今日、天と地を証人として呼び出す。そして、生と死を、祝福と呪いを君の前に置く。君は生を選べ」(申命記30−19)。
「パンにみにてではなく、ヤヘヴェの口から出づるものによって、人は生きる」(申命記8−3)。
「君の神、ヤハヴェを愛し、その声に聴き従い、彼につき従いなさい。それこそが君の生なのだ」(30−20)。
これらの言葉には、神から与えられた人間の人生を生きることは、同時に神の言葉・ロゴスを聴くことであるということを意味している。
つまり、「人間が能動的に生きるということ」は、「受動的に神からの言葉を聴くこと」と同じであると考えられていたのだ。
旧約における「生」の捉え方は以上の考察で明確になったが、一方、「死」に対する人々の捉え方はいかなるものであったのだろうか。
旧約においての「死」とは、神が人間に働きかけ、人間が神に応答するという相互関係が終焉してしまうという意味を成すものである。
「あなたが死者のために御業を行ったり、死霊が起き上がってあなたに感謝を捧げたりするでしょうか。墓の中であなたの慈しみが、
あなたのまことの滅びの国で語られたりするでしょうか。闇の中であなたの御業が、あなたの恵みが忘却の地で知られたりするでしょ
うか」(詩篇88の11−13、6の6)という語りから理解し得る如く、人間の「死」とは、神が語りかけていても、それに対して決して答え
ることができない、という事態を意味しているのである(7)。
このようにして、生命が応答への招きの受け取りを原始的に包含しており、死が応答不可能性として端的に解釈されていることが明確
になった。それでは、このような背景の下、人間の生の在り方はいかに展開されているのかについて考えてみたい。
旧約の生命における象徴的な表現としては、息吹、風、霊(詩篇104の29−30)、息(創世記2−7)、血(レビ記17−11、申命記
12−23)などの表現がある。これは、旧約における生命は、力や活動の象徴として考えられていることを示唆するものであり、決して
抽象的な観念ではないことがわかる。創世記においては、生み出された命は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(創世記1−28)と呼びか
けられており、人は、「彼にふさわしい助け手」を必要とし(創世記2−18、2−20)、異性と協力して新たな共同性を造り出していくよ
うに方向づけられている(創世記2−24)。そして、豊かに増えていくことこそ生命であると解釈され、長寿や天寿を全うすることは祝福
されたのであった(創世記35−29、出エジプト記20−12、申命記5−16、ヨブ記42の12−17)(8)。
また、神の祝福は、子宝に恵まれることも包含すると考えられていた。例えば、アブラハムは、美しい妻と多くの財に恵まれていたが、
神に対して「あなたは何を私にくださるというのですか。私は子がいないままです」(創世記15−2)と問いかけている。アブラハム曰
く、祝福としての生は、恵まれた天寿をまっとうすることだけではなく、その恵みが子孫へと引き継がれていくことで完全になると考えら
れていたのである。
注)
(1) 外典「ソロモンの知恵」では人間を不死と捉える考え方があるが、旧約聖書においては熟した思想としては解釈できない。
(2) ホセア書13−14、詩編49−15。
(3) ダニエル書12−2。
(4) 関根清三「旧約聖書の思想 24の断章」(岩波書店、1998年)の5章、6章において、人間の存在と生命についての「賜物
性」について詳細に論じられている。
(5) レビ記17の10−14や申命記12の13−28においては、神は人間が動物の肉を食べることを許すが、命と同定される血を食
べることを禁じていることや、創世記9−5においては人間と人間における紛争による生命の損傷は神によって追求されるという
ことは、神自身が生命 の源であるということを意味している。
(6) Abraham J. Heschel, God in Search of Man, −A Philosophy of Judaism− (The Noonday Press, Farrer, Straus and
Giroux / New York, 1955).
(7) 「仕事も企ても、知恵も知識もない陰府」(コーヘレス書9−10)、「地獄の穴、暗闇、陰」(詩篇八八7)、「陰府に下るともう上っ
てはこない」(ヨブ記7−9)という如く、旧約における人間の死は極めて消極的な意味合いを成している。
(8) イザヤ書38−10、詩篇102の24ー25)においては短命が嘆かれていることに留意すべきである。
聖書における死生観 2
新約聖書が、所謂、「初期ユダヤ教の後半期に登場する死生観」を基本的な前提としているということは周知の事実である。即ち、バ
ビロン捕囚以降において、「第二神殿」を中心とする教団体制が確立された紀元前5世紀から、紀元70年の神殿崩壊までの間を初期
ユダヤ教と称するのが一般である(1)。この時期は、旧約聖書の後期と部分的に重複する時期である(紀元前3ー2世紀)。
この時代におけるユダヤ教の死生観の中には、旧約聖書でかなり頻繁に引用されていた観念が欠如していたり、逆に、それまで耳に
しなかった表現が登場することもある。例えば、「人は死ねば土に帰る」(創世記3−19、詩篇90−3、104−29、146−4、ヨブ記
10−9など)という旧約においては極めて基本的といえる死生観は、初期ユダヤ教においてはほとんど強調されはいない。その理由
は、時代の潮流・背景を考えても明白の如く、当時、ユダヤ民族に様々な苦難が押し寄せてきたわけだが、このような安易な死生観で
は人々が安心することは困難であったのであろう。
一方、不変な観念としては、古代オリエント的ともいえる[人間は死ねば『黄泉(よみ)』へ赴く」という観念である(ヘブライ語では黄泉
はsheolと呼ばれたが、ギリシア語にもこれに相当する観念である"haid s"が存在していたことは、この観念を不変化する上で大きな
役割を演じたに違いない)。初期ユダヤ教、新約聖書においては、この黄泉という観念は、単なる死者の国というニュアンスだけではな
く、現世に生きていた頃に犯した罪を罰する場所であるという捉え方がなされていた(ルカ伝16−23)。
黄泉は、様々な生き方をした人間が行く場所であるが、結局は、「最期の審判」を受けるために暫定的に滞在する場所である。詩篇
49−16、あるいは、139−8においては、「神は、義人を黄泉に放り投げておくようなことはない」ということを示しており、そこに、「こ
の世の終わりに死者は復活する」という解釈がみられる。
黙示録的世界の到来に対する期待、所謂、apocalypticism(黙示思想)には、善人も悪人も含め、すべての死者が復活し、神による最
期の審判がなされるという解釈(ヨハネ伝5の28〜29、黙示録20の12〜13)、その一方、善人のみが復活することができ、永遠の
命が授けられるという解釈がある(ソロモンの詩篇3−12、ルカ伝14−14など)。
旧約のダニエル書12章の2−3においても最期の審判について触れられていることから推察できるように、旧約・新約における人間の
「生」と「死」は、神に対する応答として捉えることができる。新約における死生観を検討する上で最も重要なものは、「イエス・キリスト
の復活」である。国事犯として処刑されたイエスは、当時としては最も残酷な「十字架」という方法でその命を奪われた。当時、イエス
ほど神の愛を実践した者はいなかったにもかかわらず、その最期が十字架による処刑という事実は、多くの弟子たちを絶望のどん底に
突き落とした(2)。イエスが埋葬された後、イエスの死体が墓場から消えてしまったと伝えられているが、このことも、イエスの弟子た� ��
における更なる不安を生じさせ、同時に、謎の世界に突き落とすことになる(マルコ伝16の1−8、マタイ伝28の11−15、ヨハネ伝
20ー13)。
そのような状況の下、ペトロとマリヤ(マグダラの女)に、"異変"ともいうべき事態が起きた。イエスが処刑され、彼らの「生」への展望
はことごとく崩壊してしまったわけであるが、彼らは、それまで信じていた命とは全く別の次元の命を認識するに至ったのだ。それは
一体何かというと、言うまでもなく、「死んだはずのイエスが再び現れた」ということだ(第一コリント15の5〜7)。イエスの死体が墓場
から消え去ったという事実は、「イエスは神によって復活させられた」という解釈を生じさせ、「神は、イエスを死人たちの中から起こし
た」という表現を生んだ(ロマ書6−4、10−9、使途行伝2−24、3−15、5−30など)。これは、後に、「キリストは眠っている者たち
の初穂として、死者たちの中から起こされた」(第一コリント15−20)という表現に変わり、ここに、イエスの復活における黙示思想化
現象が始まる。
ファリサイ派のユダヤ人であるパウロは、紀元33年頃、ダマスクス近郊で、突如、イエスに出会うという神秘体験に遭遇した(ガラテヤ
書1−16、使途行伝9の1−9)。パウロは、これを契機として、原始キリスト教の伝承に力を入れ始めた。それ故、パウロの手紙は、
"原始キリスト教会に関する伝承句の宝庫"と捉えられるようになった。
パウロが展開した神学は、いうまでもなく「十字架の神学」である。十字架刑は、ローマ帝国に反発する者に対する見せしめとしての殺
害方法であり、極めて残虐で侮辱の極みとされていた処刑法である。イエスが処刑された後、誰一人として十字架について言及する
ことはなかったが、パウロは初めて、十字架を、信仰の象徴としてその礎を築いたのだ。
パウロは、「第三伝導旅行」(使途行伝18−23〜21−14)で書いた「コリント人への第一の手紙」において、極めて明確に、「言葉の
知恵」(1−17)と対比させ、「十字架の知恵」(1−18)を語っている。当時の人々にとっては、十字架について触れることは、まさに
"愚の骨頂そのもの"であると考えられていたわけであるが、パウロは、十字架を「神の知恵」であると明言したのだ(1ー18、21〜
24)。今ここで、このことを弁証法的に述べるならば、「生・死・新生」というプロセスにおいて、とりわけ「死」に重点を置くことによって、
「新生」、つまり、"復活した"というその推移を鮮明に述べているということがわかる。
その後、紀元70年代、パウロは、この弁証法を大きく展開。90年代においては、第四福音書で、生死弁証法の「生・死・新生」の
一元化を図る。これによって、イエスの死は「新生」を包含し、それは、"新生そのもの"となる。これはつまり、イエスが十字架にあげら
れるということを、「イエスが天にあげられる」ということと同じ様相として捉えていることを意味するものだ(3−14、8−28、12ー32〜
34)。そして、まさに、十字架のイエスは、頭を垂れて息を引き取るとき、「成し遂げられた」と述べた(19−30)。
注)
(1) ユダヤ教は、後に、「ラビ的ユダヤ教」と呼称されるようになる。
(2) 男の直弟子たちは、十字架を面前にしてパニック状態に陥った(マルコ伝14−50)。
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