2012年3月4日日曜日

(1) 民主政治の誕生〜王権神授説から社会契約説へ

(1) 民主政治の誕生〜王権神授説から社会契約説へ

T:政治とは

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、著書『政治学』において、人間を「政治的(orポリス的or社会的)動物である」と表現している。では、そもそも政治とは何か?

人間が複数存在する空間を「社会」と呼ぶ。小規模なものでは家族、クラス、学校、規模が大きくなれば地方自治体、国家、すべて社会である。人間が複数存在すれば(その多少は問わず)、利害や意見の対立が起こるものである。そこで、社会では秩序を維持するために、そのような対立を調整していくことが必要となる。社会秩序を維持するため、人々の利害を調整する作用が「政治」なのである。また、社会秩序維持、利害調整のためには人々� �行動をコントロールする強制力が時として必要な場合が出てくる。この、人々をコントロールする強制力がいわゆる「権力」と呼ばれるものである。この権力を、一人の支配者が握っていればそれは君主主権であり、国民一人ひとりが持っていればそれは国民主権の国家である。

さて、アリストテレスの言葉は、人間は孤立しては生きられず、集団を形成し、その社会の中で成長していく生き物であるという意味である。ゆえに、人間と社会、すなわち倫理学(哲学)と政治学が不可分の関係にあることを示しているのである。人間として生まれてきた以上は、政治は避けては通れぬものである。では、これからしばらくその政治について学んでいくことにしよう。

U:市民革命〜絶対王政の打倒

< p>現代のような民主政治と呼ばれる政治形態は、いつ、どのようにして成立したのであろうか。長い歴史の中で、民主政治が常に社会を支配してきたわけではない。知っての通り、16〜18Cには、ヨーロッパで絶対王政が展開され、君主やその下の貴族が民衆を支配することがごく当たり前の社会が出現する。身分・階級が存在し、その身分により権利や義務が異なる不平等な社会である。この絶対王政を正当化させていた理論が王権神授説であった。君主の支配権は神から授けられたものであり、その権力は何をもってしても(法ですら)拘束できないとする説である。この時代に生きた、イギリスのフィルマーや、あの太陽王ルイ14世に仕えたフランスのボシュエらがその代表的論者である。世� ��を創造した神、その神に認められた君主に逆らうことは、すなわち神への反逆行為であり、当然、この考えの下では支配される民衆たちによる革命などはありえないことになる。もっとも、この王権神授説に理論的根拠はなく、支配する側の都合のよい勝手な解釈から生まれたものに過ぎないことは明らかである。だから、やがては社会の下位で虐げられている者たちがそのおかしさに気付き、絶対王政を打倒する動きに出るのである。歴史のごく自然な流れといえよう。


最初に記録された言語は何だったの

こうして、17C以降の欧米では、民衆が自由と平等を求めて支配者を打倒する市民革命が相次いで起こる。1642〜49年のイギリスではピューリタン(清教徒)革命が起こり、その後、クロムウェルによる一時的な共和政、王政復古をはさんで1688年には名誉革命が起こる。1775〜83年にはアメリカで独立革命が起こり、支配するイギリス政府から大陸の植民地の人々が自由を勝ち取り、アメリカ合衆国を建国した。さらに1789年のフランスでは、ルイ16世とその妃マリ=アントワネットが民衆の手によりギロチンにかけられ処刑されるというフランス革命が勃発する。歴史に近代民主政治の光が差し込� ��できた段階である。ところで、このような市民革命は、教育もろくに受けずに社会の下位で労働力を搾取され、虐げられている民衆がいきなり蜂起したのであろうか。人間は生まれながらに自由で平等であり、現状の王権神授説に基づく絶対王政が誤りであるということを説き、さらには革命という行為を理論的に正当化し、溜まりに溜まった民衆のエネルギーを市民革命の原動力に結びつけた啓蒙思想家たちの存在がその背後にはあった。

【市民革命】

1642〜49年: ピューリタン(清教徒)革命   〔英〕
          ⇒ 議会の連中が国王軍を打倒、チャールズ1世を処刑

1688年:    名誉革命  〔英〕
          ⇒ ジェームズ2世が国外へ逃亡

1775〜83年: アメリカ独立革命
          ⇒ 13の植民地の連合軍がイギリス政府軍に勝利、合衆国建国

1789〜99年: フランス革命
          ⇒ ルイ16世処刑、ジャコバン派の恐怖政治、ナポレオンの登場

V:社会契約説


なぜ中国は、中国で中央王国と考えられていた?

王権神授説に対抗した、そのような思想家の理論は社会契約説と呼ばれる。この思想は、国家は「君主ただ一人のものではなく、国民が自らの社会の秩序を維持し、互いの権利を守っていくために、自らの意志で作り上げたもの」という立場に立つ。とはいえ、先述したように、社会の平和と安全を維持するためには権力が必要になる。社会の違反者を生み出さず、みなを社会のルールに従わせる権力である。王権神授説では、その権力は神から授かったとされるが、社会契約論者はそうは考えない。統治者の持つ「国家を統治する権限」は、神ではなく国民が授けたものである、と。しかも、国民はただ無条件で統治者にその権� ��を託したわけではない。与えた統治権は、平和で安全な社会や国民の権利保障のために行使してくれるものと信じて…。これが平和で安全な社会の建設のために統治者と国民の間で結ばれた契約、社会契約である。国民は自らの安全な生活を実現するために、「国家を統治する権力」を統治者に自らの意思で託したのであり、逆に、統治者はその国民の信頼に応えるために、その権力でもって、国民が安心して暮らせる国家の建設に努めなくてはならない。国民から授かった権力である以上、国民のために行使するのは当然といえよう。王権神授説を打ち破る強烈な思想である。ちなみに、統治者が与えられた権力を悪用し、国民のためではなく、国民を苦しめるような恣意的な政治を展開したらどうなるのか?それは契約違反で ある。契約違反が起こった場合には、国民はそれを打倒して新しい者に新たに権力を託せばよいのである。17C以降の欧米においては、これが「革命」という形で実現する。

さて、このような社会契約説を展開した代表的な思想家を3人紹介しよう。

<ホッブズ>


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まずは、ホッブズ〔1588〜1679年(イギリス)、主著『リバイアサン』〕。彼は、人間を「欲望のおもむくままに行動する生き物」と捉え、自然状態(無政府状態)では、「万人の万人に対する闘争」状態に陥るとした。人間であれば誰もが自然権(生命・財産・自由などを保持する権利)を保有しているはずである。しかし、人間はこの自然権を根拠に好き勝手な振る舞いに出る。結果的に、自分の自然権は他者から脅かされる。だからこそ、これを回避するためには社会契約が必要であると説く。そして、国民は自己主張の道具となるその自然権を統治者に全面譲渡せよ、と。実は、ここが彼の理論の功績であり欠� ��でもある。神によってではなく、社会契約によって君主が誕生すると主張する点は、非常に画期的である。まさに、王権神授説を打ち破った最初の人間といってよいだろう。ただし、そこには大きな落とし穴があった。権力を、「信頼して預けた」のではなく、「全面的に譲渡」してしまった点である。「預けた」のであれば、統治者の契約違反に対しては先述したように、権力を取り上げ、新たなものに託せばよいが、「譲渡」してしまっては、それ以後は、例え悪政であったとしても全面的に服従しなくてはならない…。国民は統治者に隷従しなくてはならないという点においては、君主主権と同じである。彼の思想は結果的に絶対王政を擁護してしまった。実際に、1660年、イギリ� ��は王政復古を許している。王の権力の根拠は、王権神授説から社会契約に移ってはいるが…、残念である。社会契約説としては不十分であったと言わざるを得ない。

<ロック>


そのようなホッブズの欠点を見事に補い、君主主権から国民主権へ転換するような社会契約説を展開してのがロック〔1632〜1704年(イギリス)、主著『市民政府二論』〕である。彼は、本来理性的であった人間だが、貨幣経済の発達により、中には他人の財産を脅かすものも登場する…、とした上で、生きていくために必要な財産権を中心とする自然権を保持するためには、社会契約により政府を創設するべきと主張する。彼の理論の優れていた点は、政府(君主ではない)の権力は、国民の自然権を守るために国民から「信託」、すなわち信頼して託されたものとしたことだ。「譲渡」ではなく「信託」、預けている以上、もし政府が国民の自然権を守ら� ��いような政治を展開した場合、国民には「革命権(抵抗権)」が認められる。彼はホッブズの言うような君主主権の国家は想定していない。一人の者に強大な権力を与えることの危険性を十分に理解していた。彼は、国民の代表者たち(議会)に統治権を信託する必要性を説く。国王の存在を前提とするイギリスでは、権力は議会、国王に二分して託されていることになる。国民の代表者で構成される議会が立法権や予算制定権を握り、国王の政治を監視する。そして、その国王が議会の監視の下に政治や外交を行うのである。これがいわゆるロックの二権分立論だ。革命権を含むロックの社会契約の思想は、後に起こるアメリカ独立革命に多大な影響を与えることとなる。また、日本国憲法でもその思想を垣間見� ��ことができる。前文における「信託」という文言の前後を確認して欲しい。

<ルソー>


最後にルソー〔1712〜1778年(フランス)、主著『社会契約論』〕。彼はロック同様、人間とは本来的には理性を持つ動物と捉える。しかし、土地所有制度、私有財産の容認が平和な社会を壊していくと分析。これが、彼の言う不平等起源論である。したがって、争いのない平等で平和な社会を維持するためには、構成員一人ひとりの声が反映される政治機構を作る必要があるのだ。彼は、社会契約によって成立する国家は、「一般意志」を第一に考える国家でなくてはならないという。「一般意志」についての明確な定義は彼の著書から読み取ることはできないのだが、「全国民の意見を大切にし、全国民の幸福を目指す意志」、と換言してよいだろう。また、そ� ��した全国民の意見を大切にした政治を展開するのであれば、直接民主制が理想であるともいっている。社会契約によって成立する国家は当然、君主主権ではなく、民主政治が展開されるわけだが、国民主権の民主政治には直接民主制と間接民主制がある。彼は、一般意志を尊重した政治を展開するのであれば、当然、直接民主制を採らなくてはならないと主張する。ここで、ロックの思想と比較してもらいたい。ロックの思想の場合、「信託」という言葉が示すように、国民が自ら政治に参加するのではなく、代表者を選挙し、その代表者に政治を託す間接民主制が前提となっている。このような政治体制について、ルソーは著書の中で、「イギリス人が自由なのは選挙のときだけで、議員が選ばれるや、す� ��にその奴隷に帰してしまう…」と表現し、暗にイギリスの政治やロックの思想を批判している。たしかに、直接民主制は理想的なあり方ではある。しかし、古代ギリシアのポリスではあるまいし、人口の膨れ上がった国家では実現は不可能である。が、だからといって、ルソーの思想から学べるものは何もないかといったらそうではない。代表者に任せっきりになるのではなく、できるだけ多くの者が政治に参加できるようなシステムを構築し、常に国民の政治に対する関心を高く維持することは大切なことである。民主政治はその担い手が国民一人ひとりである以上、国民の政治に対する関心がなくなれば、政治の質は低下し、衆愚政治に陥る危険性は常に潜んでいるのである。なお、ルソーの思想は、フランス革 命に多大な影響を与えたほか、直接民主制という点では、例えば、日本の政治においては、国民の政治参加の機会は選挙だけでなく、憲法改正の際の国民投票や最高裁判事の国民審査などが保障されており、間接民主制の中で直接民主制を実現しようという工夫が見られる。


大学受験の際は、市民革命の原動力となったこれらの思想家の理論はしっかりおさえておこう。センターレベルであっても、ただ言葉を暗記するのではなく、3名の思想を比較してその違いまで理解しておくことが大切である。私大では3名の思想の違いがわかるように社会契約説を論述させる問題が出題されたりもする。



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