2012年5月18日金曜日

グアダルーペ寺院 グアダルーペの聖母


グアダルーペ寺院 グアダルーペの聖母

グアダルーペ寺院

 メキシコシティの中心部から北に向かってバスで30分ほど走り、グアダルーペ寺院に到着しました。ここはメキシコ人にとって最重要な信仰の地です。
 ローマ・カトリック教にとっても重要な場所で、奇跡が起こった場所でもあります。なんと、向こうに見える丘(テペヤックの丘)で聖母マリアが現れたというのです。
 奇跡の場所には礼拝堂が建っています。まず、丘の上(画面中央やや右)に見える礼拝堂を別の角度から拡大してみましょう。

テペヤックの丘の礼拝堂

 テペヤックの丘に立つ礼拝堂には階段を登って行けそうですが、私たちには行く時間がありませんでした。下から望遠レンズで覗いてみました。

 この地で何が起こったのでしょう。それははるか昔、1531年にさかのぼります。アステカ帝国が滅ぼされて10年が経ったときのことです。


アステカ族は何の言語を話すんでした

 1531年12月9日の早朝、メキシコシティ北部のテペヤックの丘でキリスト教に改宗したばかりの先住民の男、フアン・ディエゴの目の前に聖母マリアが現れました。聖母マリアはフアン・ディエゴにお願いしました。丘の上に聖母マリアのための礼拝堂を建てることをメキシコ司教に伝えてほしいというのです。フアン・ディエゴは言われた通り司教に伝えましたが、司教は聖母マリアの出現を信じませんでした。聖母マリアは再び現れ、同じことを頼みましたが、やはり司教はフアン・ディエゴの言うことを信じませんでした。3度目現れた聖母マリアは季節がら咲いているはずのないバラの花をつんでフアン・ディエゴのマントに包み、司教 に届けるように言いつけました。フアン・ディエゴが司教の前でマントを開くと、花がこぼれ落ちたあと、マントに聖母像が現れていました。
 これが「グアダルーペの聖母」という奇跡です。そんな奇跡の場所に礼拝堂ができました。1556年のことです。
 マントに現れた聖母像は今日まで残されています(本ページ下に掲載します)。

地盤沈下で傾くグアダルーペ寺院(旧聖堂)

 丘の麓にも18世紀初頭に建てられた旧聖堂があります。ただこの聖堂は、下の地盤を見てもわかるように、だんだんと傾いていっているようです。聖母マリアは建物の傾きを直すという奇跡までは起こさなかったようです。
 この右側に1976年に新しい聖堂が建てられました。

グアダルーペ寺院(新聖堂)


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新聖堂は、教会風の建物ではなく、まるで巨大な体育館といった感じで、何か雰囲気的に良い感じではありませんし、まるで教会の感じがしません。しかし、この中に大勢の人が入ることのできる機能的には素晴らしい聖堂となっているようです。

新聖堂の内部ではミサが行われていました

 今日も、大勢の人がお祈りを捧げています。礼拝中でもフラッシュをたかなければ写真は自由に撮れます。
 1531年にフアン・ディエゴのマントに現れた聖母マリアの像が今も見ることができます。この画面ほぼ中央の祭壇に掲げられているのです。この画面の左側を通ってその真下まで行けます。

グアダルーペの聖母(フアン・ディエゴのマントに現れた聖母マリア)

 これこそがフアン・ディエゴのマントに聖母マリアが現れた「奇跡の布」なのです。これが「グアダルーペの奇跡」と呼ばれるもので、ローマ・カトリック教会が認める三大奇跡のひとつです。

 ローマ・カトリック教会公認の三大奇跡(聖母の出現)は次のものです。

・グアダルーペ(メキシコ)・・・1531年12月9日に聖母マリア出現
・ルルド(フランス)・・・1858年2月11日に聖母マリア出現
・ファーティマ(ポルトガル)・・・1917年5月13日に聖母マリア出現 

 しかし、聖母マリアの出現といったことは、無信仰な者から考えれば信じがたいことですが、信者なら文字通り信じているのでしょうね。


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メキシコ国旗とグアダルーペの聖母

 真下から眺めています。これを見るために、ベルトコンベアの「動く歩道」に行列をつくって乗ります。その上に乗って移動しながら眺めるわけです。なにせ、奇跡の布です。大勢の人がこれを見にくるので、立ち止まって見てはいけないということのようです。係員が目を光らせています。時折、フラッシュをたいている人に注意をしています。
 
 グアダルーペの聖母の下には大きなメキシコ国旗が掲げられています。国旗の中央には、サボテンの上に止まった鷲が蛇を咥えている図があります。これはアステカ帝国の建国伝説に基づくものです。アステカの人たちは、蛇をくわえた鷲がサボテンの上にとまったその場所に都市を建設せよとの神のお告げに従い、テノチティトラン(現在のメキシコシティ)を建設したというものです。

 国旗と聖母像を合わせて見ることで、メキシコ人のアイデンティティを確認させるかのようです。つまり、ここでアステカ文明とキリスト教文明の融合をみることになるのです。先住民とスペイン人との人種の融合(混血)で成り立っているメキシコ人にとっては、その二つのどちらも欠くことはできないようです。

ナシミエント(ベレン)


グアダルーペ寺院の広い敷地内を歩いていると、イエスの誕生を祝う人形飾りを見つけました。ナシミエント(またはベレン)と呼ばれるものです。ナシミエントは、イエス誕生のシーンを人形であらわしたもので、カトリック圏ではクリスマス・シーズンになると作られるようです。ポルトガルの植民地であったマカオでもよく見かけました。(例えば、聖ラザロ教会  聖ドミニコ教会  大堂)

ローマ教皇:ヨハネ・パウロ2世像

 教皇ヨハネ・パウロ2世も訪れているようです。バチカンが認めた3大奇跡の場所ですから当然かもしれません。大きな像が立っていました。

 1999年ヨハネ・パウロ2世はグアダルーペの聖母を「全アメリカ大陸の守護者」と定めました。フアン・ディエゴは2002年7月30日には聖人に列せられました。アメリカ大陸の先住民としては初めての聖人となりました。
(参考文献)『メキシコを知るための60章』p.197 明石書店 2005年2月25日刊

   



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