映画感想「インモータルズ -神々の戦い-」「アンダーグラウンド」 - くらのすけの映画日記
「インモータルズー神々の戦いー」
「落下の王国」のターセム監督の新作はなんと「300」の製作スタッフと組んだCG歴史大作。もちろん、ターセム監督の独特の映像美の世界がその最大の見所である。
映画が始まると、巨大な檻、そこにつながれたタイタン族の姿、解説とともに一本の矢がその檻を破壊する。そしてタイトル。
「300」のCGスタッフが関与しているだけあり全編が壮大なコンピューターグラフィックの世界である。そこで展開するコスチューム物の神話物語。オリンポスの神々、ギリシャの人々、そしてそれを征服しようとするハイペリオンらの軍隊、神がもたらした兵器エピロスの弓、まさにギリシャ神話の世界である。
しかし、単なるコスチュームプレイが展開する中で、ターセム監督の独特の映像美学が随所に見受けられる。奥行きのあるCGの画面の合間に左右対称の均整のとれた平面のショットが随所にちりばめられ、時として奥に視線が吸い込まれるのをふと現実に引き戻す不思議なイメージを生み出す。
さらに、赤と金色、さらにホワイトをコラボレーションさせる色のイメージは「落下の王国」でも目にしたターセム監督ならではのシャープな色のぶつかり合いを意識した色彩感覚である。
その個性が最大限に発揮されるのがクライマックスのバトルシーン。
ハイペリオンが引くエピロスの弓から放たれた一本の矢がギリシャ軍の巨大な壁の入り口を一瞬で破壊、そこへなだれ込む敵軍を通路で迎え撃つギリシャ軍。
一方、敵のハイペリオンがギリシャの神殿へ侵入、神によって封印されていたタイタン族の檻に矢を放つ。タイタン族が解放され、苦戦する主人公テセウスたちの元へ天から金色の鎧を着たゼウスたち神々が舞い降りる。金色の鎧がタイタン族を血祭りに上げていくややグロテスクな戦闘シーンが繰り広げられる。金色と真っ赤な鮮血、まっぴたつに吹き飛ぶタイタン族のイメージは時に目を背けたくなる。
ヘラ物事ヘラがした神々の女王
そして、戦闘の後、テセウスは神に召され、数年後テセウスの息子がかつての戦いの後を刻んだオベリスクのそばで一瞬過去を見る。天界では神々たちが戦っている。まるで大聖堂の天井壁画のごとく大空で戦う神たちのイメージ、そして息子の顔のクローズアップで映画が終わる。この編集こそターセム監督の世界観である。
神であれ、人であれ、世の中に争いは尽きず。かなり哲学的なイメージも織り込まれている。
物語の中では登場人物のドラマにふれる演出はほとんどなく、ひたすらクールに人間たちの争い、神の争いを描いていくターセム監督の冷たい視線が際だった一本でした。「落下の王国」ほど、練り込まれたストーリー展開を見せないものの、ふつうの神話活劇に終わらせていないという意味で一見の価値のある一本だった気がします。
ここまで常識の枠を越えた度肝を抜く非凡な感性で作られた映画を見せられると果たして、凡人の私に感想を書けるものかと恐ろしくなってくる。とんでもない傑作があったものである。
3時間弱の長尺映画であるが全く無駄がない上に、様々なシーンやカットに風刺がちりばめられているためにとてもすべてを思い出すことは不可能に近い。できることなら何度も見直すのがいちばんいいが、DVDも杯盤、それは厳しいのでとりあえず、物語を追っていきます。
登場人物はマルコとクロ、彼らはは親友、マルコの後の妻になるのが女優のナタリア、弟がイヴァン、クロの息子はエヴァン、妻はヴェラである。
子供の仕事世界大恐慌
映画が始まると、「とある国、首都はベオグラード」とでる。夜、動物園の飼育係のイヴァンが窓から覗いておる。にぎやかなトランペットの音とともにマルコがやってくる。なぜか背後に数人の楽隊がにぎやかな演奏をしていて、作品の随所でこの音楽が流れる。なぜ、こうした楽隊がいるのか不明だが、どこかフェリーニの映画を思わせられます。親友のクロ、妻のヴェラが紹介されて次の日になると、動物園で餌をやっているイヴァンのショット。ところが、そこへ爆撃機が飛んできて動物園は破壊されてしまう。こうして、ユーゴスラビアを舞台に、第二次大戦でドイツが攻めてくるところから物語が始まります。
シリアスな戦争シーンと、人々の営みがどこかシュールな演出で描かれていく導入部は思わずただ者でない雰囲気を感じさせられる。
マルコをはじめ、主要人物たちが地下室へ避難、そのなかで、ヴェラは息子エヴァンを生んでそのまま死んでしまい、クロは逃げる途中で瀕死のけがをして地下室へ退避する。マルコが地上との連絡をしながら地価で避難する人々を養い始めるが、いつのまにか、地上世界では戦争は終結する。しかし、マルコは地下の人々にそれを告げず、親友のクロが恋いこがれていた舞台女優のナタリアと結婚。地下の人々には武器を作らせてそれを地上で売りさばきながらの生活を始める。
ドキュメントフィルムを巧みに挿入し、その中にマルコの姿を合成させて描かれるユーゴスラビアの歴史はあまり知識のない私にもいつの間にか理解し得るほどの説得力があります。
チトー大統領の側近にまで出世したマルコは地位と名誉を手にし、地下の人々からの武器を売りさばきながら優雅な生活を続ける。ときおり、地下の人々にドイツが占領し、ヒトラーの圧制に様々な被害がもたらせれているかのごとく芝居さえもするのである。
やがて、20年の歳月がたち、地下の人々もそれなりのまるで町のようになっている。クロの息子エヴァンが結婚することになりその結婚式に招かれるマルコとナタリア。にぎやかなパーティの場面だがここも、どこか非現実的なシュールな世界が描かれる。常に演奏をしているトランペットの楽隊がくるくると回り、なめるようなカメラワークなどエミール・クストリッツァ監督の演出の工夫が不思議な感覚を生み出すのである。
地下の人々が作った戦車の中に、イヴァンが空襲の時に助けてつれているチンパンジーのソニーがもぐりこみ、大砲を撃ったために大混乱に。そのときにまだ戦争が進んでいると信じているクロとエヴァンはナチスを倒すため地上へ。しかし、外ではたまたま、すでに死んだとされる英雄クロの映画が撮られている。これでもかと巧妙に組み立てられた物語にいよいよ、この作品のすばらしさがどんどんエスカレートしてくる。
一方、すでにこういう生活も限界と感じたマルコは地上の家をダイナマイトで破壊、地下室も陥没してしまう。かろうじてイヴァンが逃げたソニーを探して外へ。
時はさらに経過し、イヴァンは精神病院にいる。すでにユーゴスラビアは無く、それでも国内はセルビア人とクロアチア人の紛争が続いている。その戦闘に、以前はぐれた息子のエヴァンを探しながら参加しているクロ。車いすに乗りながらも未だに武器売買を続けるマルコの姿が映される。
しかし、そんな犯罪人であるマルコを見つけた弟のイヴァンは、マルコを殴り殺してしまう。「弟が兄を殺すのか」とさけぶマルコ。背後に十字架と逆さにつるされたキリストの像が配置されている。イヴァンはそのまま教会の中で首をつりそのロープは教会の鐘につながっていて、鐘が鳴り、アヒルが空を飛ぶ。この教会のイメージは地下でエヴァンの結婚式にイヴァンが紙で作った教会のイメージそのままである。あの急お買いも鐘だけがなる工夫がなされていたところからこのシーンでその繰り返しであるとわかる。まさに聖書の中の「カインとアベル」である。さらにナタリアも兵隊に殺され、二人は油をかけて燃やされてしまう。そこへやってくるクロ。嘆きながら、息子のエヴァンを思って叫ぶ。
クロはかつてこもっていた地下室へやってくると井戸の中から息子のエヴァンの声。その声をたどって井戸をのぞいたクロはそのまま水の中へ。ようやく水面にでたクロの前になんとエヴァンの結婚式のテーブルがにぎやかにしつらえている。そこには死んだヴェラもいるし、もちろんエヴァンも元気に妻と食事をしている。そこへマルコもナタリアもやってくる。楽隊がにぎやかに演奏し「この物語に終わりはありません」とテロップの後、地面が裂けて彼らだけがゆっくりとまるでひょっこりひょうたん島のごとく流れていって映画が終わる。
簡単に物語を追ってみただけであるが、全くどのシーンにも隙が無く、窮屈なほどに無駄がない。風刺の絡めたブラックコメディであるので、苦笑いしたりするシーンもなきにしもあらずであるし、セットの中やドキュメントシーンの中にもブラックなユーモアがちりばめられているように思える一方、常に背後に流れるトランペットのにぎやかな音楽が絶妙のシュールな世界を演出しているのである。
ふつうの範疇でとらえられないいわゆる型破りな傑作と呼ぶにふさわしい一本でした。
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