日本で使われる外国の名前はそのままだと使えないことが
意外と多くあります。
なぜならそれらの日本での国名が英語ではないからです。
ここでは、日本人が間違いやすい英語の国名を紹介します。
日本で使われる外国の名前はそのままだと使えないことが
意外と多くあります。
なぜならそれらの日本での国名が英語ではないからです。
ここでは、日本人が間違いやすい英語の国名を紹介します。
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絵画のみで、コンパクトにまとまっていたので、見やすかったです。
入場者はとても多いのだけど、
あまり好きな絵が人とかぶらないので、助かりました☆
好きな絵の前では、少し待っていると、必ず人が少なくなる瞬間が来ます!
そこで、おもむろに近くから見れるのです。
平日の午前10:30到着でも、すでに入場列があり、15分程度は待った気がします。
それを考えると、やはり平日早い時間がオススメです☆
国立新美術館は造形美もあって、好きな美術館です。
ストラスブール美術館展に行った時から、モーリス・ドニという画家が気になり始めていました。
彼のやさしいタッチや、神秘的な題材にひかれて。
そんな彼の作品が、かなりオルセー展にはあり、大判の「ミューズたち」も素敵で嬉しかったです☆
「ミューズたち」はギリシャ神話の9人の女神を描いており、10人目がとてもミステリアスに画面奥に配置されています♪
6. | 覚 醒 (Wakening) |
6-1. | 民間人の人質を発見し救出せよ |
再び、この目標が戻ってきた。 ローゼンタール博士の娘ヘレナと、 その同僚が、未だ行方不明だ。
何よりも、彼らの救出が最優先されなければならない。
6-2. | 着陸地点に向かえ |
いよいよ鉱山に向かう。
VTOLが兵員や武器弾薬を送り込めるように、着陸地点の安全を 確保するのが、当面の君の任務だ。
道路に従って進み始める。 またもや激しい地震だ。 前方に見える大きな山は 明らかに崩壊しつつある。 岩の下に埋もれていた、青くあるいは白く輝く 構造物が、その姿を現し始めている。
1. | 事務所ビルに潜入し、情報を入手せよ。 |
間もなく君は、採掘センターの正面ゲート前に到達する。 クローク・ モードで、道の右側の茂みの中に身を隠す。
先ず機関銃座と監視塔の兵士たちを狙撃する。 多分、君の後方にも パトロールのKPA兵が現れるだろうから、彼らも片づける。
クローク・モードで構内に入り、一番手近な、左手前の角の建物に 忍び込む。 1人か2人、敵兵がいるから、頭狙いで静かに仕留める。 FY71 の単発が静かでいいと思った。
吸い寄せられるように、1人、また1人と、敵が入ってくるので、しばらく ここでお相手をする。
一通り片づいたら、依然としてクローク・モードで、事務所ビルへ向かう。 (位置はミニマップ参照。)
2階のバルコニーに見張りがいるが、ちょうどいい具合に遮蔽物がある。 こっそり建物の中に入ったら、目の前の敵を静かに倒す。 そのあと 2階へ上がり、ここでも同様に1人ずつ敵を倒す。
コンピュータのある部屋を見つけて、情報をダウンロードする。 人質は 鉱山の中に拘束されているらしいと分かる。 副次目標は完了だ。
再び、メイン・ミッションに戻る。
人の関係の基本としての「公平感」
人の関係の基本には「公平感」がある。人々は他者と同等であることを望み、また多くを得た者は負債感から他者との差異を解消しようとする。たとえば小さな子供は、他の子供がもっているものを欲しがることに公平感の源泉をみることができる。ここにあるのは他の子供が持っているその対象がほしいのではなく、「他の子供が持っているもの」だから、ほしいのである。
人は他者と同じでありたいと思うだけでなく、他者よりも勝ることを望む。しかしこの勝ることはたえず他者との差異によって価値がきまる。その人単体では勝ることはできない。他者に承認されなければ勝ることができないというヘーゲルの主奴の関係にある。だから、多くを持つ者は他者への負債を持ち続ける。
公平感の内部秩序と外部排他
!doctype>どうして、住みはじめた時期がわかったの?
その当時の暮らしは、東林跡(第五中学校のプールのあるところ)から発掘された道具や住居の跡などから知ることができるんだよ。
ほかにはどんな遺跡があるの?
縄文時代の遺跡には、大堀込遺跡や根郷貝塚、中沢貝塚などがあって、竪穴式住居跡をはじめたくさんの土器や石器などが出土している。弥生時代の遺跡は、今のところ市内では発見されていないけど、古墳時代(4世紀〜7世紀)に入ると、再び人々の生活した跡が見られるようになる。一本松遺跡や猿根台遺跡などのように、中沢川を望む中沢地区に集中して生活していたようだね。
万福寺周辺の村は、特別な任務を与えられていたんだ
飛鳥時代の遺跡は発見されていないけど、奈良時代の人びとが生活した跡は、遠山遺跡(軽井沢地区)と大堀込遺跡(中沢地区)で見つかっている。
どんなものが見つかったの?
鎌やくぎ、刀子(ナイフ〉などの鉄器と朝鮮半島から伝わってきた須恵器(陶器質の土器)、住居跡からは、かまどが発見されたんだ。
平安時代の遺跡も第四中学校(中沢地区)から万福寺にかけてたくさん見つかっている。とくに第四中学校の裏側にある双賀辺田遺跡からは、住居跡17軒、高床式建物跡14軒をはじめ、墨書土器など数々の貴重な遺物が発見されている。高価な帯金具などがあったので特別な任務をもっていた村だったらしい。
鎌倉時代に下総国を支配していたのは千葉という名前の人
鎌倉時代、房総は武家政権の後背地として重要な地域だったんだ。房総に力をもっていた千葉氏は、千葉常胤のとき、領地を6人の子どもに分けたんだよ。下総国相馬郡を支配していたのが千葉師常(相馬次郎)で、相馬郡は現在の我孫子市、柏市の一部、沼南町、鎌ケ谷市の北部のあたりだね。
どうしてそういうことがわかったの?
文永9年(1272)の「関東下知状」に薩摩(現・佐津間)と粟野は相馬氏の領地だったことが記されているんだ。
板碑でわかった信仰
鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて、中沢の万福寺境内には、板碑(石製の塔婆)を建てた墓がつくられた。板碑は全国に広まったんだ。信仰の違いにより種子板碑(浄土教系)、題目板碑(日蓮宗)などの種類があるんだよ。
鎌ケ谷に住んでいた人は、どんな宗教を信仰していたの?
万福寺境内から発見された板碑は、弘安7年(1284)の種子板碑がもっとも古く、後に題目板碑も見られることから、浄土教系から日蓮宗へ改宗していることがわかる。でも佐津間や鎌ケ谷などのように改宗しなかった地域もあったんだ。
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!doctype>神の存在証明 (かみのそんざいしょうめい,英語:Arguments for the Existence of God) とは、主として、中世哲学における理性による、神の存在の根拠の提示を意味する。神の存在は、諸事物の存在が自明であると同様に、自明と考えられていたが、トマス・アクィナスが『神学大全』において取った立場が示すように、神は、自然なる理性においても、その存在や超越的属性が論証可能な存在である。このように神の存在を、理性(推論)によって導出する手順が、「神の存在証明」と呼ばれる。神の存在証明は、古代から中世にかけての哲学的思索の中で、代表的には3つのものが知られ、これに、3つの神の存在証明を全て論駁し否定したイマニュエル・カントが、彼自身の哲学の帰結として要請した「神の存在」の根拠が加わって、4種類が存在する。
また、この4種類の存在証明は、いわば典型的な論証形式のパターン区別に当たり、他の様々な個別的な思想家が、神の存在証明を試みてきた。
4種類の存在証明は、カントがなした分類に従って、通常、次のように言う。
前3者は、カントが『純粋理性批判』の第三章「純粋理性の理想」において中世以来の神の存在証明をその論駁のために独自にまとめたものである。しかし、神の存在証明の分類としてよくまとまっているため説明の際にしばしば使用される。
世界の事物は、自明的に存在し、それらはきわめて精妙かつ、壮大な秩序と組織原理を持っている。太陽や星の運行を見れば、その規則性には驚くべきものがある。あるいは、植物の花や葉や枝などを見ると、信じ難い精巧さで造られている。動物の身体などは、更に精巧で見事であり、人間となると、もっと精巧である。しかも自然世界は、草を食べる牛がいれば、牛を食べる狼や人間が存在し、空から降る雨は、適切な季節に大地を潤し、植物の生長を促し、その実の熟成を、太陽の光が促す。
このような精巧な世界と自然の仕組みは、調べれば調べるほど、精巧かつ精妙で、人間の思考力や技術を遥かに超えている。世界に、このような精巧な仕組みや、因果が存在するのは、「人知を超越した者」の設計が前提になければ、説明がつかない。すなわち、自然の世界は、その高度な目的的な仕組みと存在のありようで、まさに神の存在を自明的に証明している。
これはカントにおいては自然神学的証明とも呼ばれる。西暦1世紀に使徒パウロは「神の永遠の力と神性は被造物に現れておりこれを通して神を知ることができる」と言っている。現代においては、インテリジェント・デザインが目的論的証明と同様の立場を取る運動として著名である。
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…西欧の大学で、特に文学部と人類学部で、客観的な実在についてのすべての「事実」は単に知的構築物にすぎないとする「ポストモダン的な」知的潮流が広まった。簡単にいえば、事実と作り話には明確な区別はないというのだ。しかし、違いはある。そして、歴史家にとっては、たとえもっとも過激な反実証主義者にとっても、両者を区別する能力こそ根本的に重要なのである。 (Hobsbawm 1993, p.63) | ||
相対主義批判の前に
哲学的懐疑主義は「絶対真などありえない」といった主張を含むとされるため、しばしば懐疑主義は相対主義にいたるとされている。しかし、先にお断りしておくが、我々の懐疑主義は、哲学ではなく、立場の総称として成立し、浸透していったものであるから、そういった議論とは無関係であるということを強調しておく。
とはいえ哲学的に補足することは可能で、古代からの懐疑主義哲学が「絶対真などありえない」に続く言葉として「だから全て判断を保留すべきだ」という判断と行動の停止に至るラディカルな立場であるとすれば、我々の懐疑主義は、「だから知識は蓋然性によって評価すべき」であり、そして、蓋然性の判断である以上、知識は常に誤りの可能性を含むため、疑わしき知識は懐疑し、誤りがあれば修正すればよい、という立場を採用している。そして科学的方法と、科学の知識体系に、適度な信頼をおいている。
相対主義の種類
本稿で解説するのは、相対主義のなかでも認識的相対主義という立場である。まず、相対主義には、おおまかに認識的相対主義 (真偽について)、道徳的相対主義 (善悪について)、審美的相対主義 (美醜について)といった3種類の相対主義が存在する。
そのうち、善悪が相対的であるということに異論がある者は滅多におるまい。少なくとも、宇宙は善悪を定めていないという意味では。また、美醜が相対的であるということも、異性の好みが千差万別であるという現実からも納得できるだろう。(個人的には、人間が社会生活をおくる場合に、文化や時代が違えど、準普遍的道徳が存在するのは認めるし、美醜についても準普遍的な要素があると考えている。たとえばe^iπ=-1 に美を感じるのは、本質的な何かがあるからだと思う。ただし、ここではそういう微妙な議論を要する部分は飛ばし、絶対的なものではないという意味で善悪・美醜が相対的であるということに異論はないとする。)
したがって、善悪美醜の2種類の相対主義は、別にどうでもよい。しかし、もう一つの相対主義、つまり「真偽」についての相対主義だけはいろいろと問題がある。
!doctype>「みんなで作るグルメサイト」という性質上、店舗情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。 詳しくはこちら
店名 | アンフォラ (Amphora) |
---|---|
ジャンル | ビストロ、フレンチ、イタリアン |
TEL | ※お問い合わせの際は「"食べログ"を見た」とお伝えください。 |
住所 | 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-13-15 |
交通手段 | 千駄ヶ谷駅、国立競技場駅から徒歩5分 国立競技場駅から419m |
何をしていますか?
雑誌・書籍のレイアウトを中心に、パンフレット・チラシ・ポスター・ポストカードなど紙媒体のデザインを手がけています。
どんな感じでやってくれますか?
デザインは、「伝わる」が基本。コンテンツをすっきり生かし、かつ心ときめくデザインを心がけています。クライアント様とコミュニケーションをとり、ねばり強く取り組みます。対応の早さでも、ご好評いただいております。
今プロットを立てている途中なのですが…。
ファンタジー系のお話の中で、争いの描写を入れたいんです。
そこで、争う理由を考えなくちゃ争いが起こらないことに気づきました。
どういう争いにしよう…宗教系にしようかな、でもそれじゃ理由が弱い気がしないでもないし…。
なんて考えているうちに眠くなってきたので寝たんですが、まだ悩んでおります。
人はどういう理由が重なって戦争を起こしてしまうんでしょうか?
一概に言えないことがわかってはいるのですが、
皆様の意見が聞きたいと思い此処に書き込むことに至りました。
よろしければご回答よろしくお願いいたします。
● 答え ●
Dr.ウニボンさんの意見
初めまして。自称・狂科学者のDr.ウニボンと申します。以後お見知りおきを。
さて、戦争発生の原因、との事ですが……。
小中学校の社会で習う範囲の理由で十分だと思いますよ。
私もあんまり詳しくは無いですが、
「戦争は外交の一手段」という事を踏まえれば良いと思います。
例えば「石油が欲しいから石油を持っている国から奪う」とか
「戦争をすると儲かるから」とか「国土を増やしたいから」とか。
現代戦争なら経済やら他の国の圧力やらで自由に(というのも変ですが)戦争出来ませんが、
古代から中世くらいなら「偉大なる王○○は天の子であるから、世界を統一出来る器がある」
なんて理由で他国を制圧、何� ��事もありますし。
ようは卯月餅さんが考えていらっしゃる世界観に合っていればどんな理由だろうと良いと思います。
現実の古代から中世くらいの時代なら「あの国の王が后を寝取ったら戦争で滅ぼす」
なんて事もあったんですから。
jogtyさんの意見
「政治的な理由でも、経済的な理由でもなく、心理的な理由とりわけ恐怖である」
と私の持っている本には書かれています。
あるいは「軍事力の行使は外交の尻拭い」とも。
黒尻尾の駄猫さんの意見
通りすがりの野良猫です。
オイラなりの答えを残します。
まあ、ありがちな話しばかりですが……。
1.資源の独占
背景としては食糧資源(野生の果実、キノコ、動物 、漁業資源)をそれまでは両者共同の――
つまり、誰の物でもないモノとして採取を行っていたが、
(歴史的には国家とか大がかりな組織が興る前から、周辺部族等で共有していた)
「本来そこは我々の土地だ!」とか言い始める。
※日本と韓国の竹島云々の事じゃないけど……もう少し何とかして欲しいなぁ。
また、鉱物(金属、貴金属、宝石等)や燃料(石油、石炭、または燃料になりうる動植物)の
発見等によっても「そこは本来我々の土地だ」と言い出す。
既に、他国の領土と誰もが認識していても「そこは本来我々の土地だ」とか言い出す。
まあ、そんな事言わずにイキナリ宣戦布告する場合もありますが……
2.独立
本来独立国家だったが吸収された、或いは今の� ��家体制に強い不満がある場合の闘争。
イギリスという国では、未だに「ブリテン島には4つの国がある!」と主張している方もいる。
個々は純粋に祖国を国家として取り戻したいという思いがあるのかも知れないが、
その行動はシャレにならないテロ活動に発展してしまいました。
3.逆襲
周囲の圧力に対する反抗。
かつてのドイッチェは第一次大戦時の戦争賠償に国家は疲弊しまくっており、
かなり偏ってみれば踏み倒し的な理由(他にもあるけど)で第二次世界大戦を起こす。
ちなみに日本も、当時アジアへ支配を伸ばそうとしていた欧米諸国による経済封鎖とうで
国内資源が枯渇し、疲弊しまくって太平洋戦争を仕掛けたりしている。
(でも、「ソレと俺等は関係ないだ ろう!」と、とばっちりで日本に侵攻を受けたアジア諸国に、
未だに恨まれている)
4.宗教闘争
レコンキスタに代表される十字軍の遠征やら、
宗教が武力を持つとあまり良い事はないと言う感じですね……。
日本では織田信長が色々やりましたし、
江戸時代でも島原の乱等、実は日本でも宗教戦争は起きている……。
冷戦時に旧ソ連に対抗するためにアメリカが中東にさんざん金をまいて、
戦争を煽りまくって現地は凄惨を極める事態に陥ったが、
ソ連が撤退したらイキナリ資金を止めて知らんぷりを決め込んだのでもの凄く恨みを買い、
それがいつの間にか宗教的な東西の線引きと融合しテロだ何だと大騒ぎに……。
5.内乱
クーデター。国家の体制や� �動に大きな不満があり、一部の群衆や軍事組織が武装蜂起する事。
成功すると革命とか呼ばれる。
そういう意味じゃ、カダフィ28歳では無血クーデターとか成功させて居る訳ですが……
その背景は宗教的な闘争とも言えなくもないなぁ。
アメリカ樹立に繋がる独立戦争、フランス王朝終演に繋がる革命戦争。まあ、色々……。
6.侵略
とにかく国家を強くしたい。土地が欲しい。アイツが気に食わん。
あそこは金持ちだ等々の高度な政治的理由により他国に対しての宣戦布告ないし
その支配組織の解体(主権、王権の放棄要求)を行う事。
ブリテン島だけじゃ我慢出来なかったイギリスが、その代表者でしょうか?
その輝かしい歴史と略奪の数々は大英博物館に燦然と輝 いています。
アフリカも中国もアメリカ大陸もみんな欲しかった。
まあ、アフリカからは撤退し、香港も返還され、アメリカ大陸では独立戦争起こされ、
結局ブリテン島に居る訳ですが……。
そしてイギリスから正式に侵略者の後継者の座を勝ち取ったのは独立戦争の覇者のアメリカ。
悪の限りを尽くしたのですが……そう言えば、クリントンが大統領を退いた直後だかに
「やあ、当時は無理難題ふっかけて、無理矢理王朝をつぶしてハワイを侵略してごめんね」と、
ハワイ市民に謝罪していたっけなぁ。
もし、日本が太平洋戦争開戦を、大東亜共栄圏を打ち出さなければ、
アジアでの悲惨な戦争はなかったかも知れない。原爆投下も無かったかも知れない。
でも、その場合 、日本はメリケンの51番目の州になっていたのかもしれない。
むう。
まあ、オイラが、この猫の額の奥のコンパクトな脳で考える事じゃないか。
(考えるだけ無駄だし、無理だし;;)。
ではでは
蒼い人さんの意見
価値観の違いです。
相手を敵に、搾取・排斥の対象にすれば、衝突はその内やって来るものです。
自分だけ得しようとか、相手を手段として使ってしまおうとかすれば、
それが相手に知られた時点で反発は明らかです。
逆に相互理解がきちんとできていれば、平和は維持できるものと私は考えます。
まあ、世の中には戦争をただ楽しむが為に戦争を仕掛ける某SS大佐もいたりしますが、
狂気故に、というのは例外としておき ましょう。
マインターZさんの意見
ファンタジー系であるならば、別にリアルな理由など必要ないでしょう。
それこそ、魔王がよみがえり、ある国が魔王の味方をしているから、
正義の側と悪の側が戦う、で良いんじゃないですか?
わざわざファンタジーを持ち出して、現実世界の戦争をさせる理由もないですし。
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第6章 女性的エクリチュールと生活の場の戦術
1.模倣としての女性的エクリチュール
マイノリティの「アイデンティティの政治」をめぐる反本質主義(構築主義)と戦略的本質主義の対立について、カルチュラル・スタディーズ、とくにスチュアート・ホールとポール・ギルロイは、興味深い議論を行なっている。かれらの議論の特徴は、一言でいえば、マイノリティのアイデンティティの政治を二つのタイプに分けて、その両方を使い分けるという点にある。かれらはこの問題について多くの論文を書いているが、ここでは、ホールの1990年の論文「文化的アイデンティティとディアスポラ」[ホール 1998]および1991年の「新旧のアイデンティティ、新旧のエスニシティ」という論文[ホール 1999]と、ギルロイの1991年の「どこから来たかじゃねえんだよ、どこにいるかなんだ」という論文[ギルロイ 1997]を取り上げてみよう。
ホールは、「文化的アイデンティティとディアスポラ」のなかで、「文化的アイデンティティ」について考察するには2つの方法があるという。ひとつは、さまざまな表層的な「自己」の深層にある、共有された集合的な「一つの真なる自己」というアイデンティティで、安定した不変の認識論的枠組みと意味を与えてくれるものである。その例として、ホールは、エメ・セゼールやレオポルト・サンゴールらのネグリチュード運動における、アフリカ中心主義的な「黒人性(ネグリチュード)」という文化的アイデンティティをあげる。それは、アフリカやカリブの黒人たちの表層的にはさまざまな違いのある経験の真実ないし本質を表すものだった。これは、反本質主義者たちが批判する本質主義にもとづくアイ� ��ンティティであるといえよう。けれども、ホールは、この再発見された本質的なアイデンティティが、フェミニズムや反植民地主義や反人種差別といった、今日の最も重要な社会運動の勃興にはたした役割の重要性を過小評価したり無視したりしてはならないという。
そして、文化的アイデンティティに関するもうひとつの立場は、類似性によって一つの経験、一つのアイデンティティを語るのではなく、「実際の私たち」を構築する深層に決定的な差異があること、文化的アイデンティティがつねに変異することを認めるという立場である。そこでは、文化的アイデンティティは、「歴史と文化の言説の内部で創られるアイデンティフィケーションの地点、アイデンティフィケーションや縫合の不安定な地点」であり、「本質ではなく、一つの位置化(positioning)である」[ホール 1998: 94]とされている。この第二の文化的アイデンティティのとらえかたは、反本質主義ないし構築主義の議論を踏まえたものといえるだろう。けれども、ホールは、反本質主義者たちのように、文化的アイデンティティという概念を放棄しようとはしていない。ホールは、文化的アイデンティティの編成を、類似性と継続性によるベクトル(本質主義的なベクトルといってもいいだろう)と、差異と断絶のベクトル(構築主義的ベクトル)という「二つの機軸/ベクトル」が同時に作動することによって形作られるものとし、文化的アイデンティティを「二つの機軸の対話的関係」から考えなければならないという。第一の機軸は過去への何らかの根拠や継続性を与えてくれるものだが、第二の機軸は、私たちが共有しているものが根本的に� �連続の経験にもとづいていることを思い起こさせてくれると、ホールは述べている。
また、「新旧のアイデンティティ、新旧のエスニシティ」でも、ホールは、疎外され周縁化されたローカルの人々が自分たちを周縁化するその全体社会に対抗して表舞台に出るためには、本質主義的で防衛的な集合的アイデンティティを形成する必要があったといい、そのような対抗的な反応をホールは「アイデンティティの政治その1」と名づけている。そして、イギリスでは、その全体の巨大な政治空間において生み出されたアイデンティティが「ブラック」であり、ブラックというカテゴリーは1970年代の反人種主義闘争においてきわめて重要であり、さまざまな社会的・文化的背景をもった人びと、すなわちカリブの島々、東アフリカ、パキスタン、バングラデシュ、インド各地からの移民たちが皆ブラックというアイデンティティをもったのだと述べている。ホールによれば、その時期の敵はエスニシティという概念に根拠をもつ「多文化主義」であった。多文化主義は、エキゾチシズムでしかなく、エキゾチックなエスニック料理、音楽、衣装をまとって集うがだれも人種主義については語らない「インターナショナルの夕べ」のようなものだと、ホールは言うのである。
そして、ホールは、ブラックという本質主義的な概念にもとづく対抗的なアイデンティティの政治による闘争の時期は過ぎ去ったわけではないという。その社会が、さまざまな黒人や第三世界の人びとに対して人種主義的な仕方でかかわりをもとうとする限り、そうした闘争はつづいていると述べる。けれども、そのような「アイデンティティの政治その1」だけを語ることもできないとホールはいう。なぜなら、ブラックというアイデンティティは、他の問題、その概念の内部の多様性にかかわる問題を黙殺することもあるからである。つまり、アジアからの移民たちは、それによってかれら自身に特有の経験を黙らせることになり、さらに有色のアジア系の人びとだけではなく、黒人たちのなかにもブラックとい� ��単一のアイデンティティによっては、自分の経験を語ることができない人びとがいたからである。また、ブラックというアイデンティティが他のアイデンティティを沈黙させる例として、ブラックという単一で排他的な概念をそのまま使うことが黒人女性に対する黒人男性の権威を再編成してしまうことがあるともホールは指摘している。ようするに、「アイデンティティの政治その1」は、その排他的なカテゴリー内部における差異の拡がりや多様性を抑圧してしまう危険性があるというのである。
そこで、ホールは、黒人の経験、黒人の共同体という流動的で多様なアイデンティティをとらえるためには、「差異による生きたアイデンティティの政治」というもう一つの政治学が必要だと述べている。そのような政治学について、ホールはつぎのように言っている。
[それは]私たちは皆、多重の社会的アイデンティティをもっているのであって、唯一つのアイデンティティをもっているのではないことを認める政治学である。すなわち、私たちはつねにさまざまなカテゴリーによって複雑に構成され、それらのカテゴリーは諸々の対立のなかで成り立っている。そしてそれらによって私たちは社会的に周縁、従属といった位置に多重的に位置づけられるが、その位置づけは一様な形で作用するのではない。同様にそれは、その帰属意識の多様性によって人々を組織しようとするローカルなものの対抗政治学が、相互の位置関係による闘争とならざるをえないことを認めることである。[ホール 1999: 88]
ホールは、このようなローカルなものの闘争をグラムシの概念を借りて「陣地戦」と言いあらわしている。それは、「アイデンティティの政治その1」が全体社会の巨大な政治空間における闘争(こちらのほうはグラムシのいう正面攻撃による「機動戦」に当たるのだろう)とは違って、何ら保証がないという困難さをともなう。それは、「帰属意識が変化、移行するので、それらは外部の政治的、経済的な力を受けたり、いろいろ異なった形で表現されたりすることもある」ので、だれも計算ができないような闘争であるゆえの「そのアイデンティティのなかに刻み込まれたような政治的保証というものはまったくない」という困難さである。そして、ホールは、このような政治学は、「もちろん、不測の事態を考� ��して、つまり、不測の事態に直面したまま政治学を行なっているため、そうしたアイデンティティは固定的ではなく、矛盾することが多く、相互に横断しており、また多重のアイデンティティによって、私たちはさまざまな時点で異なって位置づけられる傾向があることを理解すべきである」が、「私の考えでは、ローカルなものが唯一自分たちの思い通りになる政治ゲームである」と述べている。
ホールのいう、この「差異のアイデンティティの政治」は、さきに紹介した「文化的アイデンティティとディアスポラ」という論文でいっていた「第二の立場」としての「ポジショナリーの政治」と同様に、構築主義(反本質主義)ないし脱構築派が「アイデンティティの政治」を批判して唱えている、多重的なアイデンティティの戯れによる政治に近いようにみえる。実際、ホールも「差異のアイデンティティの政治」を説明するとき、よくデリダの「差延」概念に言及しているし、バーバも引用している。
しかし、ホールが、ポストモダニズム的な脱構築派と異なるのは、第一に「アイデンティティの政治その1」を受けいれている点にある。そして、第二に、「差異のアイデンティティの政治」が、小さなローカルなものの政治である、つまり、ローカルな共同体において功を奏する政治学だとしている点である。ホールが差異の生きたアイデンティティの政治を述べるとき、よくデリダを引用すると述べたが、「新旧のアイデンティティ、新旧のエスニシティ」の中では、デリダの「差延」について触れたあと、つぎのように言っている。
本当のところ、ここでアイデンティティと差異について考える際に、デリダは思ったほど助けにならない。また、アメリカ、特にアメリカの哲学・文学思想におけるデリダの盗用者はさらに役には立たない。「異なる」と「遅延させる」という二つのテクストの含意の間の緊張関係から、デリダの「差延」の概念を取り出して、その概念をただ際限のない差異の戯れに委ねるその瞬間から、デリダの政治学が解体されている。その瞬間から、一種の学問的なゲームである、きわめて洗練された、戯れにみちた脱構築の膨大な増殖が展開される。それはだれでも可能であり、……いかなる意味に対してもだれも責任はない。……何かが意味を付与された瞬間にすぐ消し去られる。だれもが充実した時を過ごす。いわば会議� ��でかけていってその脱構築を行なうといったようなことである。政治の概念はつねにいろいろな立場の間を動いている言葉によって、ある場所を占めつつも、そこに縫いつけられていないものの間の緊張関係を維持することを前提とする。ポジショナリーと運動の両方を別々でなく一緒に考えることを、つまり差異と戯れることなく、「ゆっくり休める夜を探す」ようなアイデンティティと戯れることなく、アイデンティティと差異との緊張関係のなかで生きることを私たちに求める。こうした政治の概念が解体されているのである。[ホール 1999: 79]
つまり、ここで言われている「アイデンティティと差異との緊張関係のなかで生きる」場こそ、ローカルな流動的コミュニティであり、ホールは、そのような場から遊離した学問的なゲームを批判しているのである。
ギルロイもまた、黒人たちの「アイデンティティの政治」について、ホールと似たような区別をしている。ギルロイは、その目的に注目して、「約束履行fulfilment の政治学」と「変容transfigurationの政治学」の二つのタイプに分けている。約束履行の政治学とは、「来るべき社会では、今日の社会が果たせない社会的・政治的約束を実現できるという考え」であり、「ブルジョア的市民社会が己のレトリックに忠実であることを要求」する政治学のことである。他方、変容の政治学は、別の空間的・時間的広がりをもっていて、「奴隷監督官の鼻先で創造されたために、意図的に分かりにくい形に変えられている」が、「解釈や抵抗をともにする人びとの人種的な共同体の内側、かつその集団とかつてのその抑圧者との間における、質的に新しい欲望や社会関係や共同性の様態の出現に強調点を置いている」[ギルロイ 1997: 179, Gilroy 1993: 134]ものとされている。そして、約束履行の政治学は、「自分自身の流儀に従ってではあるが、西洋の規定する合理性のゲームを行なうことに同意している」ものであり、それゆえ、「記号、言語使用、テクストに関するものを消化するための解釈学的志向を余儀なくされる」[ギルロイ 1997: 180, Gilroy 1993: 135]のに対して、変容の政治学は、「反復不可能なものを反復し、提示不可能なものを提示しようと苦闘しながら、荘厳なもの(the sublime)を求めて奮闘する」もので、そのような違いがあるゆえに、模倣的で、演劇的で、パフォーマティヴな志向へと推しだされる」と述べている。
ギルロイは、この二つの政治学の間には緊張関係があるけれども、黒人ディアスポラのヴァナキュラーな諸文化のなかで密接に結びついているとしている。そして、ギルロイも、ホールと同様に、「変容の政治学」が、流動的な共同体において、質的に新しい関係性や連帯の出現をもたらすものであることを強調している。つまり、本質主義的な言説をもちいる「アイデンティティの政治」も、固定的ではない多重的・流動的で創発的なアイデンティフィケーションに依拠した「アイデンティティの政治」も、ともに必要なのだとし、後者のタイプの政治は、流動的な共同体においてこそ意味をもつのだとしているのである。
!doctype>ヘクトルは彼女の前でだけは弱音を吐く。
「テクトンを神殿の前で殺したギリシア人 すごい槍を投げた。人の技とは思えぬ」なんて。軍人しかも最高指揮官が、決定権のない女性の前で「この戦は負けるかもしれない」と言ってしまう。公の前では気丈に振舞うけれど、誰にも言わないけれど、アンドロマケには言えるのね…。
「お前は将軍になれるな」というセ リフも、お前みたいな奴が決定者の中に一人でもいたら戦争をしなくても済んだかもしれないな、と言う感じに取れたし。
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