2012年4月21日土曜日

なぜ「世界共和国」なのか - 第三の波~平ブログ


なぜ「世界共和国」なのか

人の関係の基本としての「公平感」

人の関係の基本には「公平感」がある。人々は他者と同等であることを望み、また多くを得た者は負債感から他者との差異を解消しようとする。たとえば小さな子供は、他の子供がもっているものを欲しがることに公平感の源泉をみることができる。ここにあるのは他の子供が持っているその対象がほしいのではなく、「他の子供が持っているもの」だから、ほしいのである。

人は他者と同じでありたいと思うだけでなく、他者よりも勝ることを望む。しかしこの勝ることはたえず他者との差異によって価値がきまる。その人単体では勝ることはできない。他者に承認されなければ勝ることができないというヘーゲルの主奴の関係にある。だから、多くを持つ者は他者への負債を持ち続ける。



公平感の内部秩序と外部排他


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このような公平感は「内部」を形成する強い力として働く。未開社会では共同体そのものが内部となり、公平感は互酬的な象徴関係へと構造化される。また現代から考えると、封建社会は階級による不公平な社会であるようが、固定された役割間は略取−再配分という、疑似的な互酬性が形成され、公平感が保たれていた。でなければ、長期的に維持されないだろう。略取−再配分は現代でも税金を払い、国家秩序を維持してもらうということで公平感を保つシステムである。

このように「公平感」を記述すると、平和主義のようであるが、公平感が「内部」を形成する力であるという、内部を維持するために外部を排除する力として働く。未開社会では、外部を徹底的は排除することで強い内部を形成する。封建社会も共同体の外部としての他の共同体があるから、内部は結束を強く、疑似的な互酬制が維持されたと考えることができた。また柄谷がいうように国家は他の国家との関係でおいて、国家でありえるということも、この公平感による内部秩序/外部排他が働いている。

だから公平感は内部秩序における「正しさ」の源泉となるとともに、外部を「正しくない」と規定し、排他する。ニーチェはこれをルサンチマンと呼んだ。キリスト教など宗教は神の名のもとに公平であることを承認することで、人々がもつ公平感への不満(不平感)を緩和する装置として、人々の信仰を得た。そこには強い内部倫理と外部への不寛容がある。


互酬交換=強い内部/貨幣交換=弱い内部


痛みと韻を踏む言葉?

現代のような流動性の高い社会では、内部/外部は固定されない。内部は家族であったり、友人関係であったり、企業であったり、国民(ネーション)であったりして、公平感の内部秩序と外部排他は、その場その場で流動的に働くことになる。

贈与と返礼という互酬的交換は公平感を支えるシステムとして、未開社会から人間関係の基本として作動してきた。現代の経済は貨幣交換によって運営されているようだが、ボクたちの身の回りには互酬的交換が溢れている。たとえば家族や仲間内などの交換で貨幣を用いることは少ない。

これらの違いをいえば、互酬的交換は、相手が誰であるか、すなわち「強い内部」として行われるのに対して、貨幣交換は誰でもない関係、関係をその場限りの切断されたものとして、「弱い内部」で行われる。大きく希薄された内部で貨幣の前では(お金を持っていれば)、誰もが「平等」に扱われる。


公平感を保つための平等システム

日々見知らぬ人と関係するというような現代の流動性の高い社会では、強い内部を形成することは難しい。このために貨幣交換が基本とされている。そしてこのような弱い内部を支え、公平感を満たすための装置が自由と平等を志向する民主主義であり、その秩序を維持するのが国家である。国家が必要とされるのは平等システムを作動させる内部が規定する必要があるからだ。


彼は若い頃、ヒトラーは、任意の医学的な問題を持っていなかった

社会システムは、いかに公平感を保つかが問題になるが、公平感を満たすために必ずしみ「平等」である必要がない。「平等」とは、公平感をみたすための民主主義的な設計事項である。

資本主義のように競争機会の「平等」を保証するか、あるいは社会主義のように分配の「平等」までを保証するか。あるいは個人所有をどこまで認めるか。競争の機会の平等では、勝ち負けの格差が生じる。世代を越えての私的所有(遺産相続)を認める競争では平等に反するのか。分配まで平等にすることは自由を抑圧するのか。



動物化した主体の資本主義への過剰な依存

高度消費社会では、平等はいかにあるべきかだけでなく、公平感そのものが問われることが起きている。物質的に満たされ、満腹感のような動物的な充足が認知限界をこえて充足されるとき、公平感への欲望は希薄になる。それは公平感と異なるもう一つの充足、身体的な充足がおこる。すなわち「動物化」である。

しかし「動物化」は過剰に資本主義的な豊かさに依存しすぎている。そしてそれは豊かさを守る国家という内部に依存している。だから国家が弱体化すれば、動物化による身体的充足は危うくなるという薄氷の上に維持されている。現にネオリベラリズムの流れの中で、脱社会化した人々は下流として排除される事態が起きている。



「世界共和国」という公平感を満たす究極的なシステムの名称


柄谷は、資本=国家=ネーションにおいて、ネーションは資本と国家を補完する働きとしてある、という。資本と国家が物質的な充足をめざすとき、これは必ずしも公平感を満たす方向を意味しない。再度言えば、公平感とは物質的な充足を意味しない。公平感は想像的なもの、現代においてはネーションに位置するだろう。だから公平感を問い続ける運動として、ネーションは重要になる。そしてデリダ、柄谷のいう「他社性」=倫理的な他者と同じような意味において、公平性を問い続けることは一つの倫理的に要請される。

なぜ「世界共和国」なのか。それは、このような公平感を満たす究極的なシステムの名称といえるだろう。柄谷が環境問題、戦争、格差問題を上げて「世界」存続の危機を問うとき、そのような危機的「外部」を想定することで、「世界」を国家という内部を超えて、公平感が働く一つの大きな内部として作動されることを可能になる。より有効なものとして、宇宙人が攻めてくることを考えることができだろう。このとき「世界共和国」という強い内部は作動するだろう。



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